2010/12/29

小谷元彦 「幽体の知覚」



上の写真は「フィンガーシュパンナー」という作品。
ピアニストの手を矯正するための器具から着想を得ているそう。
人間の手にヴァイオリンがくっついた!(とはいえ決して融合していない)
弦による緊縛感がなんともフェティッシュ。
チューニング用のネジをギリ、ギリ・・・怖い。

展示では、ヴァイオリンケースのようなケースに
この器具が入っていて置かれているのだけれど、
器具だけなのに、ものすごいオーラがあった。これぞ器具に宿るファントム。


これは昔テレビで見た「座ると死ぬ椅子」に似た感覚、かも。

そういえば、昔読んだスケバン刑事に、鉄仮面のエピソードがあった気がするのだけれど、
それがやたら怖かったな・・・。

小谷元彦 「幽体の知覚」
2010.11.27[SAT]-2011.2.27[SUN]
森美術館
http://www.mori.art.museum/contents/phantom_limb/index.html

2010/12/18

読んでね!!



2008年4月1日(火)
日本経済新聞

2010/12/16

「東京アートミーティング トランスフォーメーション」 展



どちらかといえば、わかりやすいほうだったと思う。(いい意味で!)
いわゆる映像作品多め。

及川潤耶
サウンドインスタレーション。
音は目よりも5倍くらい身体に染みるもんなんだと実感する。
バーチャルリアリティーとはこれか!という。ぶわっとくる。
もっとこういうの見たい!というか体験したい!(?)というべきか・・・

AES+F
解説によれば、「デジタル技術によってティーンエージャーの写真をモーフィング加工し、
背景のCGアニメと組み合わせる手法が用いられている」のだそう。
映像と合ってるような、合ってないような音楽。
意味があるような、ないような映像。
誰か解説してくれ~
またどこかでお目にかかりたいです。

スプツニ子!
恥ずかしながら、今日このお方を知ったのですが、うっ、たのしい
世の中は楽しくなってきておりますな~
リンクはっておきます。かわいいです。
http://sputniko.com




「東京アートミーティング トランスフォーメーション」 展
2010.10.29[FRI]-2011.1.30[SUN]
東京都現代美術館
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/118

2010/08/08

綿谷修 「Juvenile」



夏のウクライナで出会った、少年たちのカラー写真で構成された展示。
大きいほうの部屋が、全て縦の構図で構成されていたのがすっきりしていてよかった。

粒子は粗め、被写体との距離感や構図はどことなくストイック、で好みだな、と感じたのだけれど、
あれは撮影後にトリミングしたりしているのかな?

映像としては確かに被写体に近いのだけれど、心は決して近づいてはいないから不思議だ~


綿谷修 「Juvenile」
2010.7.23[FRI]-2010.8.25[WED]
RAT HOLE GALLERY
http://www.ratholegallery.com/exhibitions/2010/04wataya/intro.htm

BASARA展



フライヤー等を見る限り直感的に、たぶん苦手だろうと感じながらも、
結構話題になっていたのでなんとなく覚えていてふらっと立ち寄ったら、
やはり自分にはなじみのない(と言ってしまいまたい)表現が多く、
とはいえ、恐らくその苦手感の元となっているゴテゴテ感から妙な高揚感をもたらされるのを確かに感じました。

身体に入れ墨を入れるのも、携帯にスワロフスキーを施すのも、トラックにビカビカな電飾を追加するのも、
かなりの気合が必要な行為だと思う。

ただし、携帯やトラックを「デコる」のは、あくまでも人工的なものに何かを付け足す行為だけれど、
身体に刺青を施すという行為は、いわゆる「親からもらった身体」に直接手を入れる行為であるという点で、
よりぞくぞくっとさせられますね。

既に物体として成立している何かに、何かを付け足す文化。
そんな文化に嫌悪感を覚えるのは、
(私の場合、)中学生くらいの、とにかく自分を「デコ」りたかった頃を思いだすからかもしれません。

シャネル侍を二度見して帰りました。


BASARA展
2010.8.4[WED]-2010.8.7[SAT]
スパイラルガーデン
http://www.spiral.co.jp/e_schedule/2010/08/basara.html

2010/08/02

FUJI ROCK FESTIVAL'10









3日目だけですが行って来ましたフジロック~

観たアーティストはおおむね下記の通り。
1日だけということもあり、どうしても欲張らざるを得なかったわけだけれど
最初から最後まで全部観れたのはVAMPIRE WEEKENDとATOMS FOR PEACEだけだったな~


MATT&KIM

CODEINE VELVET CLUB

VAMPIRE WEEKEND

DIANE BIRCH

ATOMS FOR PEACE

moe.

NARUYOSHI KIKUCHI DUB SEXTET

SCISSOR SISTERS



個人的にはVAMPIRE WEEKEND、ATOMS FOR PEACE、moe.らへんが楽しかったです。
で、SCISSOR SISTERSで燃え尽きた。
踊った~

来年こそは2日間以上いたいなーあ


http://www.fujirockfestival.com/

2010/07/04

CHICAGO (赤坂ACTシアター)

行って来ました赤坂ACTシアター。
結構早いうちにチケット予約したからか?
8列目くらいでした。

米倉さん顔ちっさ!脚なが!
ということで、とにかく米倉さんゴージャスでした。存在そのものが。
一気に大好きになったよ。(前から好きだったよ)

ダンサーの鍛え抜かれた身体と、バンドによる生の演奏と。
これぞ贅沢というものでして。

とにかく楽しみました。

Ladies and Gentlemen,you are about to see a story of
murder,greed,corruption,violence,exploitation,adultery and treachery-
all those things we hold near and dear to our hearts.

CHICAGO 日本版 (ミュージカル) 
2010.6.9[WED]-7.4[SUN]
赤坂ACTシアター
http://www.tbs.co.jp/act/event/chicago2010/

2010/06/19

「六本木クロッシング2010:芸術は可能か?」展

やっと観てきました。
キーワードはD.I.Y.か。(Do It Yourself)

相川 勝
http://masaruaikawa.com

店で売られているCDを自分の手で(そして声で)複製しましたという作品。
ジャケットはもちろんのこと、CD表面も、ライナーノーツも再現。
なかにはアンケートはがきまで。

で、CDの中身(=音楽)も自分の肉声で再現している。(ラモーンズとか)
ついニヤリとしちゃいました。

制作しているときのことを想像させられた。
で、自分もやってみたくなった。


宇治野宗輝
http://the-rotators.com

本展の中盤で、なにやら音を発している構造物あり・・・
なんか車が、ワイパーとかライトが、音にあわせて踊ってるけど?
といよりも、車そのものが楽器なのですかい?
アンプがいくつも重ねられてて、どうやら音はそこから出ているらしい。

となりにあるのはよく見るとロボットの形をしているんですね。
ギターやら掃除機やらがくくりつけられていて、なんだか楽しい。


ログズギャラリー
http://roguesgallery.jp

「ガソリンミュージック&クルージング」というらしい。
ただただロマンチックでして。さらにはドラマチックでして。
ガソリン音に耳を支配されつつ、いろんなことを考えました。


「六本木クロッシング2010:芸術は可能か?」展
2010.3.20[SAT]-2010.7.04[SUN]
森美術館 (六本木ヒルズ森タワー53階)
http://www.mori.art.museum/contents/roppongix2010/index.html

2010/05/16

アート アワード トーキョー 丸の内 2010

なんとなくざーっと見て、好みの作品を見つけるだけでももちろん楽しめるのだけれど、
それだと「わかりやすいもの」「自分の中にも流れている(既に体験済みの)感情を表現しているもの」についてはなんとなく共感できても、
「わからないもの」については「わからない」ままのような気がして、
一つの視点として、
「自分がもしもコムデギャルソンのフライヤーのアートディレクションを頼まれたらどれを選ぶか!?」
などと妄想しながら見ました。

美術館に来ると「で、だからなんなの?」で終わってしまう人に、
おすすめしたい見方だと自分では思っています。はい。

とはいえこの展示の場合は、「学生っぽさ」がやはり一番の魅力ですね!
来年も楽しみにしています~

アート アワード トーキョー 丸の内 2010
2010.4.29[THU]-2010.5.30[SUN]
行幸地下ギャラリー
http://www.artawardtokyo.jp/2010/ja/

2010/05/09

ロトチェンコ + ステパーノワ 「ロシア構成主義のまなざし」

ロトチェンコ + ステパーノワ 「ロシア構成主義のまなざし」


どこまでも、線と円。左右対称あるいは上下対称。うーんストイック。潔癖。

ポスターや、日用品、例えばポットなんかは、人々の生活の風景の中にどんな感じで
なじんでいたのだろうか?(あるいはなじんでいなかったのか?)
などと考えつつ観ました。

「光を反射する平面」(吊り下げ型六面体)というオブジェ?の展示がよかったなー。


ロトチェンコ + ステパーノワ 「ロシア構成主義のまなざし」
2010.4.24[SAT]-2010.6.20[SUN]
東京都庭園美術館
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/rodchenko/index.html

2010/05/08

時が止まってます



2010年3月撮影。

2010/05/01

「アーティスト・ファイル2010―現代の作家たち」展

アーティスト・ファイル2010



どの作品も心惹かれてじっくり眺めさせてもらったのですが、
特に惹かれたのは以下の3人の作家の作品でした。


桑久保 徹

この作家には世界がこう見えているんだろうなあと思いながら、作品をみた。
世界を「ありのまま」に描こうとするナチュラルな姿勢を感じたような気がする。

彼の作品が魅力的なのだとしたら、
それを知覚する彼の頭(眼?意識?)こそが魅力的だったりするんだろう。
もちろんそれを生み出す手もすばらしいということを前提にして。

この作家に限ったことではないのかもしれないけれど、
とくにそんなことを考えました。


福田尚代

一行だけ読めるようになっている文庫本が横に並べられている作品があったのだけれど、
それがドラマチックで、感情がぶわっと押し寄せてくる感じがした。
中学の演劇大会の、舞台の照明が暗転しているときの、
登場人物の追憶の台詞がやけに心に響いたのを思い出した。


O JUN

こちらもちょっとノスタルジックな気分にさせられた。
幼少期の記憶を断片的に描いたような作風は、
もしかしたら束芋の作品と対比させて考えるとうまくいくのかもしれない、などとも思いながら。
しかしちょっと言葉にできない。



「アーティスト・ファイル2010―現代の作家たち」展
2010.3.3[WED]-2010.5.5[WED]
国立新美術館
http://www.nact.jp/exhibition_special/2010/af2010/index.html

2010/04/26

Irving Penn

写真美術館にて、ジャンルー・シーフの図録とともに、
アーヴィング・ペンの写真集も購入~。

アーヴィング・ペンといえば、
Vogueの表紙を飾った編み編み帽子(?)の女性の写真(1950年)が特に有名なのかな?
と思いますが、
still life、すなわち静物、もすごいです。



Still Life with Triangle and Eraser
New York 1985



Frozen Foods with String Beans
New York 1977


2010/04/25

ジャンルー・シーフ 「Unseen & Best works」



髪の毛のさらさら、ニューヨークのビルのごつごつ、
ドレスのドレープが織り成す陰影、草、木、そして肌。皺。

「手触り」を表現することに関しては、
写真、絵画、文学、映像、どの表現ジャンルも
それぞれの作家がそれぞれ挑戦してきたのだろうとは想像するけれど、
やはり写真、とりわけ銀塩モノクロ写真に勝るものはなかなか無いように思う。

というわけで、そんなモノクロ写真のお手本のような写真がずらり~。
手触りどころか、匂いまで香ってきそうな写真群でした。

そんな作家の姿勢は、作家自身の以下の言葉に凝縮されている。

僕は神の存在を信じない。しかし女性の存在そのものが、すでに神の存在を証明していることになるのかもしれない。そして写真はそれを証明する手段だ。空を見上げたときに気づくある色、そこはかとなく漂うある不思議な香り……(中略)……17歳の少年のころには、これらの嗅覚と感情の高まりをぼくは詩に書いて、翌日にはそれを破り捨てていた。なぜなら、そのときの感情は消え失せ、ただの言葉の羅列にすぎなくなってしまっていたから。それからぼくは写真を始めた。写真は時に私が表したいと願った欲望をそのまま生き続けさせ、静かにあるひとつの世界をつくる
(展覧会 図版より抜粋)


であるからして、彼の表現は当然フェティッシュそのもの。
彼の「欲望」は写真というジャンルだからこそ体現される。
東京都写真美術館で同時開催中の森村泰昌との対比が眩しい(乱暴なまとめですみません)。


ジャンルー・シーフ 「Unseen & Best works」
2010.3.27[SAT]-2010.5.16[SUN]
東京都写真美術館
http://syabi.com/contents/exhibition/index-22.html

2010/04/18

森村泰昌 なにものかへのレクイエム


≪なにものかへのレクイエム(記憶のパレード/1945 年アメリカ)≫ 2010 年


「演劇っぽさ」というか、「フェイクである」という前提の上で成り立っている写真というのは
やはりオモシロイなあと。
作家の自意識とか、問題意識のようなものをばんばん感じさせるから
つい細かいところまで見てしまう。

あと、通常の写真作品と変わらない大きさ・薄さの映像作品!
あれはいいなあ~。

とくに3階に展示されていた縦型の2体の映像作品は幽霊のようでおもしろく。
写真を撮る行為なんか、いかにもだけれど、楽しめる。
で、お金かかってるなあ~新潟の美術館には呼べないだろうなあ~なんて思いました。
そんなことないかもしれないけれど。

森村泰昌 なにものかへのレクイエム
2010.3.11[THU]-2010.5.9[SUN]
東京都写真美術館
http://syabi.com/details/morimura.html

2010/04/11

ツァイト・フォト コレクション展『素晴らしきコレクション』


ウィンストン・リンク
「ホークスビル川の水遊び、バージニア州ルレイ」
1956 年


上の写真に惹かれて行ってきたのだけれど、行ってよかった!
これぞ写真、と思えるような作品に出会えました。

とくに気になったのは、中央に飾られていた大きなカラー写真2枚。
風景を何気なく切り取っているようでいて、
でもその構図(人物の視線)や構成(画中画など)は計算しつくされているような気もする…。
とにかくその2枚に惹かれました。大判だと迫力が違うな。
写真家はTina Barneyという方のようです。
好きな写真家が増えて嬉しい。

ツァイト・フォト コレクション展『素晴らしきコレクション』
2010.3.24[WED]-2010.4.28[WED]
ツァイトフォトサロン
http://www.zeit-foto.com/exhibition/2010/collection.html

2010/04/08

「この世は二人組ではできあがらない」山崎ナオコーラ

「シオちゃんだって、少年マンガの努力友情勝利みたいな小説家にはなりたくないでしょ?」
「いや、私は少年マンガの主人公になりたい」
「ええ?」
「おまえが良いって言ってくれるだけじゃ、私の小説は社会に出ねえんだよ」
「賞のために書いているの?」
「少年マンガのヒーローみたいに、賞が欲しいの」
文学賞とは、社会への切符なのだ。
男に褒められたところでなんになる。作品は社会的にしてなんぼだ。
私は自分の書いた小説を褒められたいわけではなく、社会へ出したかった。


男女間における、対等な会話。それが気持ちいい。
もっと読みたい。

「この世は二人組ではできあがらない」山崎ナオコーラ,新潮社,2010


2010/04/03

フセイン・チャラヤン 「ファッションにはじまり、そしてファッションへ戻る旅」


《慣性》2009年春夏、photo: Chris Moore

シーズン毎にテーマを打ち出しそれを衣服に落とし込むという行為自体は、
ある程度はどのファッションデザイナーも共通して行っていることではないだろうか。
しかし彼の場合は、コンセプトがより哲学的だ。
ファッションとは相容れないような問いがまずあって、
それを衣服という枠組みに強引にぶつけている。

だから一瞬、「衣服でなくてもよいのでは?」という疑問が起こるのだけれど、
やはり身体の上で起こすからこそ、この化学反応はスリリングなのだ、きっと。

フセイン・チャラヤン 「ファッションにはじまり、そしてファッションへ戻る旅」
2010.4.3[SAT]-2010.6.20[SUN]
東京都現代美術館

2010/03/28

六義園

満開もいいけどツボミも好きだ。
いろんなツボミに触りまくった。触ると結構固い。


鳩は一心不乱に地面を突きまくっていた。


植物というか自然?の連続性というか類似する様は結構グロテスクだ。


この木の名前を知りたいな。
おばちゃん方が口にしていたけど、もう忘れてしまった。

2010/03/27

Kika (1993)


ジャケットに惹かれ、ツタヤで借りる。
衣装はジャン=ポール・ゴルチエとのこと。

望遠鏡で女の部屋を覗き見するところとか、
その盗撮フィルムを写すモニターを大写しに撮るところとか。
ポラロイド撮りながらセックスしたり。
暗い映画館で見たら2.5倍くらいエキサイティングなのではと予想。

なんだかんだで、観ている人の欲望を満たす映画なのでは。

女ジャーナリスト(?)の武装っぷりも半端じゃなく、単純に面白い。
ON/OFFの感じとか、最後にみせる綻びとか。
実は人間っぽい。
そういう意味で、観客がいちばん感情移入しやすいのは彼女なのかも。

そしてメイドの女の顔のインパクトがただただすさまじい。
これぞエキセントリック。はまりそう。

2010/03/22

「high fashionに見るファッションの50年」展





以下、いつもに増して超雑感です。

若い学生か、ファッションに携わる現役のモードなお姉さん方で溢れているのかと思いきや、
全然そうでもなくて、
会場では40~50代の方も目立っていた。

私が物心がついてファッション誌をめくり始めたのは90年代だから、
肌で知っているのは現時点では90年代と00年代である。
その間に、根底から覆されるような、
「スタンダード」の変化はあったのだろうか。どうなんだろう。
そして次の10年及びそれ以降はどうなる?

展示されている記事にもあったけれど、「男性と女性の差が縮まる」に共感。
そのこと自体になにか確固たる理由があるわけではないのだけれど、
ただ最近、女性のいわゆるパンプスとかヒールが、妙にカッコ悪く見えてしまう時がある。
自分が歳とってきたというのもあるけれど、それにしても、
もっとおしゃれな靴が履きたい!なんて。

下の写真は今回の展覧会には全く関係ありませんが、
女性の靴にまつわる、好きな写真。写真家はアーヴィング・ペンです。

1978年3月 米VOGUE Irving Penn

「high fashionに見るファッションの50年」展
2010.3.22[MON]-2010.3.28[SUN]
POLA MUSEUM ANNEX

2010/03/21

熱海・網代・伊東の旅


熱海。至るところに干物が売っている。


昼は麦とろろ定食。干物つき。


ここから網代。やっぱりお魚が売ってる。


宿泊した宿の、お部屋のお風呂。
味があるわ~。


この地方の特産らしく、至るところで実が生ってる&売ってる。


伊東では、桜海老のかき揚げ。蕎麦。


海で遊ぶ。
上は、遊び道具である、拾った木とカメラ。
一枚でもいいからいい写真が撮れているといいのだが!

2010/03/18

不二家ネクターとイングリッシュマフィン

不二家ネクター。
駅の自販機にあって、いつもその存在が気になっていた。ので今日買ってみた。
しかしかわいいデザインだなー。
サイトもあるよ。ほほ~赤とピンクだらけ。


ついったーで検索してみると、結構(というかかなり)妙に人気だな~ネクター。
ちょうど新製品も発売されるそうな。



あと、最近パスコのイングリッシュマフィンのうまさに感動しました。
はまりそうだ~。
チーズ・トマト・アボカド・焼いた卵をはさんでみた。うまし。

project N40 熊谷直人

癒すゲイジュツと、傷をつくるゲイジュツがあるとすれば、
前者のほうであるように感じた。

キャンバスには多くの色が用いられているが、
それらがまるで必然であるかのように、配置されている。
調和がとれており、どこにも違和感がない。

project N40 熊谷直人
2010.1.16[SAT]-2010.3.22[MON]
東京オペラシティアートギャラリー


やなぎみわ「Lullaby」


やなぎみわ「Lullaby」イメージスケッチ

「Lullaby」とは、ララバイ、すなわち子守唄。

# 昼間に行ったせいでスライドの色がかなり薄かったので、
# 帰宅してから他のURLを参考に色合いなどを頭の中で補完しました…はは

繰り返される二項対立。
白と黒、若さと老い、偽物と本物、静と動。
そして最後に内から外へ。内が外に晒される。
いや、正確には、内であったはずが、
二人の戦うエネルギーによって壁が崩壊し、外に晒される、といったほうが当てはまる、はず。

その時彼女たちは野生化する……
「女性らしさ」というヴェールを脱ぎ棄てて…

といいたいところだけれど、その外もやっぱり偽物チックに見せてるんですよね。
プロレスの興行に似せたりだとか。
で、ララバイは繰り返されると。舞台は変われど。

やなぎみわ「Lullaby」
2010.1.29[FRI]-2010.3.21[SUN]
RAT HOLE GALLERY

「エレメント」 構造デザイナー セシル・バルモンドの世界


《サーペンタイン・ギャラリー・パヴィリオン 2005、ロンドン》2005

途中で靴を脱ぐ展示室があって、
壁に面した床には座布団(というか座れるクッション)が置いてあり、
お客さんはそこに腰を下ろせるようになっている。

展示室に入ったときはその光景が不思議というか奇異に感じられたのだけれど、
気づいたときには自分も、その座れるクッションに体育座りしていた。

で、ぼーっと眺めていると、
後から来たお客さんも、座ったり、立ったり、展示を眺めたり、各々の行動をしている。

だんだん自分の身体が空間に馴染んでいく…
しかも自分だけでなく、他の人もそんなふうにして空間に馴染んでいくから面白い。

展覧会って大抵が初見であるから、
本質的には大抵そんな経験をしているのだろうけれど、
特に今回は、建築や空間をテーマにした展覧会だからなのだろうか、
特にそんなふうに感じたのかもしれない。


《CCTV(中国中央電視台)新社屋、北京》2009

「エレメント」 構造デザイナー セシル・バルモンドの世界
2010.1.16[SAT]-2010.3.22[MON]
東京オペラシティアートギャラリー

2010/03/15

ゲルハルト・リヒター 「New Overpainted Photographs」




HPで抱いたイメージとして、
大きいサイズの作品が多いのかなと(勝手に)想像していたのだけれど、
実物のサイズは小さいものだった。

また、PCの画面では当然、完全に平面で奥行がないのだが、
実物はペイント部分が隆起しており、雰囲気に応じたニュアンスが与えられている。
その点も、PCと実物での受ける印象の違いであるように思う。

ギャラリーで経験した実物はもちろん美しく、単純に、
手元に置いておきたいと思わせてくれる代物だったが、
PC上でみる、画面上で写真もペイントもいっしょくたにされて
「画像」として飛び込んでくる経験にも魅惑があるように思った。

写真とその上に重ねられているペイントが平面化し一体化することによって、
写真が「侵食」される様がより強調されている感じがして好きである。

ゲルハルト・リヒター 「New Overpainted Photographs」
2010.2.5[FRI]-2010.3.13[SAT]
WAKO WORKS OF ART

2010/03/08

小谷元彦 「Hollow」



「植物化する身体」。やや、なるほどです。
空気?重力?の可視化といったところでしょうか。

果たしてあれらの「ツル」は、
人間が自ら放出しているのか。
それともどこからかやってきて、まとわりついているのか。
ということを考えながら眺めていた。

近似するテーマとして、昔大学の授業で観たビョークのPVを思い出した。
液体状のなにかが自らの意志を持っているかのように眼や鼻や口を行き来する。


Björk - Hidden Place



本展における作品の場合、「植物」が身体内部へ侵食していることはなかったように思う。
というよりも、身体が植物「化」しているからもはや身体と植物に境目がない。
「植物化」によって、もともとの身体は拡大し強化されていると考えられるし、
あるいは身体としての機能は弱められているともとれる。

異質なものとの同化…で思い出すのはメデューサ?
なるほど「アポロンとダフネ」。ギリシャ神話。

小谷元彦 「Hollow」
2009.12.17[THU]-2010.3.28[SUN]
メゾンエルメス

2010/02/23

No Man’s Land




No Man’s Land
2009.11.26[THU]-2010.2.18[THU]
在日フランス大使館旧庁舎

2010/02/22

束芋「断面の世代」


《惡人》(部分)2006-07年、墨・和紙 Courtesy the Artist and Gallery Koyanagi


頭髪、携帯電話、手。洗濯機、冷蔵庫。花。
本展に登場するモチーフはどれも身近な存在であることに気づく。

幼少期の断片的な記憶。
そこにおいては、人間の頭髪も冷蔵庫も花も等価な存在となる。
確かに存在し、感じたはずの表情や手触りは消え、輪郭だけが残る。

束芋「断面の世代」
2009.12.11[FRI]-2010.3.3[WED]
横浜美術館

2010/02/21

恵比寿映像祭




「映像」経験について改めて考えさせられた。
「映像祭」といっても、すべての展示物が必ずしも眼に直接の悦びを与えてくれるわけではない。
「映像」を楽しむ祭典というよりも、どちらかといえば、「映像についてみんなで考えてみましょうね」という趣旨なのだろう。

作品に関する情報は作者、タイトル、制作年などの最低限な情報のみ。
作品を解説するような文章はつけられていない。
また美術館での映像作品はどうししても冒頭からではなく「途中から」観ることになる場合が多いため、内容を理解するまでに時間がかかる。
そのぶん、自らの頭で考えることが必要とされる。
その作品用に自分の頭をチューニングする作業が必要とされる。

《おかえりなさい、うた―Dusty Voices, Sound of Stars》(2010)
(2F、サウンドインスタレーション)

複数の人の朗読や楽器音などで構成された音声に、天井から吊るされたライトが連動してオン/オフするインスタレーション。
映像でイメージを限定しないぶん、想像力のトレーニングを課されているようで、またその手助けをされているようで、心地よい。
プラネタリウムの経験に近いように感じた。

第2回 恵比寿映像祭 「歌をさがして」
2010.2.19[FRI]-2.28[SUN]
東京都写真美術館