2010/03/28

六義園

満開もいいけどツボミも好きだ。
いろんなツボミに触りまくった。触ると結構固い。


鳩は一心不乱に地面を突きまくっていた。


植物というか自然?の連続性というか類似する様は結構グロテスクだ。


この木の名前を知りたいな。
おばちゃん方が口にしていたけど、もう忘れてしまった。

2010/03/27

Kika (1993)


ジャケットに惹かれ、ツタヤで借りる。
衣装はジャン=ポール・ゴルチエとのこと。

望遠鏡で女の部屋を覗き見するところとか、
その盗撮フィルムを写すモニターを大写しに撮るところとか。
ポラロイド撮りながらセックスしたり。
暗い映画館で見たら2.5倍くらいエキサイティングなのではと予想。

なんだかんだで、観ている人の欲望を満たす映画なのでは。

女ジャーナリスト(?)の武装っぷりも半端じゃなく、単純に面白い。
ON/OFFの感じとか、最後にみせる綻びとか。
実は人間っぽい。
そういう意味で、観客がいちばん感情移入しやすいのは彼女なのかも。

そしてメイドの女の顔のインパクトがただただすさまじい。
これぞエキセントリック。はまりそう。

2010/03/22

「high fashionに見るファッションの50年」展





以下、いつもに増して超雑感です。

若い学生か、ファッションに携わる現役のモードなお姉さん方で溢れているのかと思いきや、
全然そうでもなくて、
会場では40~50代の方も目立っていた。

私が物心がついてファッション誌をめくり始めたのは90年代だから、
肌で知っているのは現時点では90年代と00年代である。
その間に、根底から覆されるような、
「スタンダード」の変化はあったのだろうか。どうなんだろう。
そして次の10年及びそれ以降はどうなる?

展示されている記事にもあったけれど、「男性と女性の差が縮まる」に共感。
そのこと自体になにか確固たる理由があるわけではないのだけれど、
ただ最近、女性のいわゆるパンプスとかヒールが、妙にカッコ悪く見えてしまう時がある。
自分が歳とってきたというのもあるけれど、それにしても、
もっとおしゃれな靴が履きたい!なんて。

下の写真は今回の展覧会には全く関係ありませんが、
女性の靴にまつわる、好きな写真。写真家はアーヴィング・ペンです。

1978年3月 米VOGUE Irving Penn

「high fashionに見るファッションの50年」展
2010.3.22[MON]-2010.3.28[SUN]
POLA MUSEUM ANNEX

2010/03/21

熱海・網代・伊東の旅


熱海。至るところに干物が売っている。


昼は麦とろろ定食。干物つき。


ここから網代。やっぱりお魚が売ってる。


宿泊した宿の、お部屋のお風呂。
味があるわ~。


この地方の特産らしく、至るところで実が生ってる&売ってる。


伊東では、桜海老のかき揚げ。蕎麦。


海で遊ぶ。
上は、遊び道具である、拾った木とカメラ。
一枚でもいいからいい写真が撮れているといいのだが!

2010/03/18

不二家ネクターとイングリッシュマフィン

不二家ネクター。
駅の自販機にあって、いつもその存在が気になっていた。ので今日買ってみた。
しかしかわいいデザインだなー。
サイトもあるよ。ほほ~赤とピンクだらけ。


ついったーで検索してみると、結構(というかかなり)妙に人気だな~ネクター。
ちょうど新製品も発売されるそうな。



あと、最近パスコのイングリッシュマフィンのうまさに感動しました。
はまりそうだ~。
チーズ・トマト・アボカド・焼いた卵をはさんでみた。うまし。

project N40 熊谷直人

癒すゲイジュツと、傷をつくるゲイジュツがあるとすれば、
前者のほうであるように感じた。

キャンバスには多くの色が用いられているが、
それらがまるで必然であるかのように、配置されている。
調和がとれており、どこにも違和感がない。

project N40 熊谷直人
2010.1.16[SAT]-2010.3.22[MON]
東京オペラシティアートギャラリー


やなぎみわ「Lullaby」


やなぎみわ「Lullaby」イメージスケッチ

「Lullaby」とは、ララバイ、すなわち子守唄。

# 昼間に行ったせいでスライドの色がかなり薄かったので、
# 帰宅してから他のURLを参考に色合いなどを頭の中で補完しました…はは

繰り返される二項対立。
白と黒、若さと老い、偽物と本物、静と動。
そして最後に内から外へ。内が外に晒される。
いや、正確には、内であったはずが、
二人の戦うエネルギーによって壁が崩壊し、外に晒される、といったほうが当てはまる、はず。

その時彼女たちは野生化する……
「女性らしさ」というヴェールを脱ぎ棄てて…

といいたいところだけれど、その外もやっぱり偽物チックに見せてるんですよね。
プロレスの興行に似せたりだとか。
で、ララバイは繰り返されると。舞台は変われど。

やなぎみわ「Lullaby」
2010.1.29[FRI]-2010.3.21[SUN]
RAT HOLE GALLERY

「エレメント」 構造デザイナー セシル・バルモンドの世界


《サーペンタイン・ギャラリー・パヴィリオン 2005、ロンドン》2005

途中で靴を脱ぐ展示室があって、
壁に面した床には座布団(というか座れるクッション)が置いてあり、
お客さんはそこに腰を下ろせるようになっている。

展示室に入ったときはその光景が不思議というか奇異に感じられたのだけれど、
気づいたときには自分も、その座れるクッションに体育座りしていた。

で、ぼーっと眺めていると、
後から来たお客さんも、座ったり、立ったり、展示を眺めたり、各々の行動をしている。

だんだん自分の身体が空間に馴染んでいく…
しかも自分だけでなく、他の人もそんなふうにして空間に馴染んでいくから面白い。

展覧会って大抵が初見であるから、
本質的には大抵そんな経験をしているのだろうけれど、
特に今回は、建築や空間をテーマにした展覧会だからなのだろうか、
特にそんなふうに感じたのかもしれない。


《CCTV(中国中央電視台)新社屋、北京》2009

「エレメント」 構造デザイナー セシル・バルモンドの世界
2010.1.16[SAT]-2010.3.22[MON]
東京オペラシティアートギャラリー

2010/03/15

ゲルハルト・リヒター 「New Overpainted Photographs」




HPで抱いたイメージとして、
大きいサイズの作品が多いのかなと(勝手に)想像していたのだけれど、
実物のサイズは小さいものだった。

また、PCの画面では当然、完全に平面で奥行がないのだが、
実物はペイント部分が隆起しており、雰囲気に応じたニュアンスが与えられている。
その点も、PCと実物での受ける印象の違いであるように思う。

ギャラリーで経験した実物はもちろん美しく、単純に、
手元に置いておきたいと思わせてくれる代物だったが、
PC上でみる、画面上で写真もペイントもいっしょくたにされて
「画像」として飛び込んでくる経験にも魅惑があるように思った。

写真とその上に重ねられているペイントが平面化し一体化することによって、
写真が「侵食」される様がより強調されている感じがして好きである。

ゲルハルト・リヒター 「New Overpainted Photographs」
2010.2.5[FRI]-2010.3.13[SAT]
WAKO WORKS OF ART

2010/03/08

小谷元彦 「Hollow」



「植物化する身体」。やや、なるほどです。
空気?重力?の可視化といったところでしょうか。

果たしてあれらの「ツル」は、
人間が自ら放出しているのか。
それともどこからかやってきて、まとわりついているのか。
ということを考えながら眺めていた。

近似するテーマとして、昔大学の授業で観たビョークのPVを思い出した。
液体状のなにかが自らの意志を持っているかのように眼や鼻や口を行き来する。


Björk - Hidden Place



本展における作品の場合、「植物」が身体内部へ侵食していることはなかったように思う。
というよりも、身体が植物「化」しているからもはや身体と植物に境目がない。
「植物化」によって、もともとの身体は拡大し強化されていると考えられるし、
あるいは身体としての機能は弱められているともとれる。

異質なものとの同化…で思い出すのはメデューサ?
なるほど「アポロンとダフネ」。ギリシャ神話。

小谷元彦 「Hollow」
2009.12.17[THU]-2010.3.28[SUN]
メゾンエルメス